比較の気持ちは争いの火種に

相続人が複数人いる場合には、誰が何を、誰がいくら、そして、自分は何をいくら相続するかが関心事として浮上してきます。

遺言で指定されていても、遺産分割協議によって決定されるとしても、この関心事は変わりません。

この関心事は“自分と他の共同相続人との比較”から始まります。

人間の心理というものは面白いもので、「あなたに100万円あげます」と言われるのと、「200万円をあなたたちに2分の1ずつあげます」と言われるのとは、結果は同じであれ、受け止める気持ちに違いが生じることがあります。

単独で「あなたに100万円あげます」と言われるとすんなり納得するものですが、「200万円をあなたたちに2分の1ずつあげます」と言われると、「なぜ2分の1?相手より自分の方が貢献したのではないか、ならば自分が3分の2程貰ってもいいのではないか」などと余計なことを考え始めてしまうのです。

この心理が相続の時に大きく働くと、争いに発展する火種と成り得るのです。

相続権を有する者は“貰って当たり前”という気持ちが少なからずあります。そもそもが自分の財産ではないのにも関わらずです。

貰って当たり前という気持ちに「他者と比較する」気持ちが加わると、「何故?」という疑いが発生してしまいどうにも抑えられない感情へと発展しかねません。

この「比較の気持ち」が前面に出ているとき、その人の思考回路は相続ではなく比較対象の他者に向いてしまっているので、その間違った思考回路を相続の方に向け直さなければなりません。

相続の方に思考回路を変えていけば、自ずと、この遺産はどのように形成されてきたものであり、大切に承継していかなければならないもので、自分だけが承継するのではない(相続人が複数人いる場合です)という原点に戻ることができるのではないでしょうか、「比較の気持ち」が生まれる前の思考回路に。

比較の気持ちが生まれる前の思考回路に戻ったら、他の相続人と「よく話し合う」ということを肝に命ずべきです。この「よく話し合う」というのは、自分だけではなく相手の状況もよく理解するように努めるということも含まれます。例えば、親の介護をした相続人としていない相続人では、状況が全く違います。親の介護をしていない相続人の「いわゆる一般的な常識としての主張」は介護をした相続人には通じないと思った方が良いでしょう。一般的常識としては法定相続分での承継が平等であるという主張は、寄与分があると思っている相続人には通じないということです。自分が逆の立場だったらどうなのか等を考えるだけの許容心も必要です。

相続における争いの場と成り得る遺産分割協議の場では、他の相続人と(承継する金額を)比較するという“勘定問題”が結果的に“感情問題”に発展してしまうことがよく有ります。

今回は、抽象的な話になってしまいましたが、相続における遺産分割問題は各相続人の「心の問題」でもあります。

自分の主張ばかりせずに、『争わずに承継するにはどうしたら良いのか』、ということを相続人が各々しっかりと考えることが望ましいと言えるでしょう。

このページのコンテンツを書いた相続士

中島 浩希
中島 浩希
行政書士、宅地建物取引士、相続士上級、CFP
東京都小平市出身。法政大学経済学部卒。リース業界・損害保険業界を経て、2007年相続に特化した事務所を開設し、現在も一貫して「円満相続と安心終活」をモットーに相続・終活の総合支援を行っている。相続・終活における問題の所在と解決の方向性を示す的確なマネジメントと親身な対応が好評を得ている。相続専門家講座の専任講師として相続専門家の育成にも助力している。日本相続士協会専務理事。
中島行政書士相続法務事務所・ナカジマ相続士事務所

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