相続法改正を悪用されないように

改正相続法により新設された規定がいくつかあります。その中の一つに「遺産の分割前における預金債権の行使(第909条の2)」というものがあります。

改正前相続法では、2016年12月19日の判例変更により、共同相続された一定の預貯金債権は相続開始と同時に当然に相続分に応じて分割承継されるのではなく、遺産分割の対象となり、遺産分割前に払戻しをする場合には共同相続人全員の同意を必要とするということで、遺産分割が決着するまでは原則的に払戻しを受けることができませんでした。

しかし、改正相続法の新設規定(第909条の2)により、遺産分割がまとまる前でも、各共同相続人は「単独で」預貯金の一定額の払戻しを受けることができるようになりました。

被相続人の債務の支払いや共同相続人が被相続人に扶養されていた場合、そして、葬儀費用に充てるためなど、被相続人の預貯金口座が凍結されるがために相続人が困ってしまうようなケースでは有効な規定であるといえます。

この有効だと思われる規定も立場や見る角度を変えると違ったものにもなり得ます。リスクです。

例えば、以下のようケースは如何でしょうか。

東京太郎さんは自分の亡き後、子供たちが揉めないように遺言を作成して誰が何を相続するかを決めておきました。相続人は長男と長女の2人だけです。

長男には自宅の不動産を相続させ、長女には長男より少ない相続分となるがA銀行の預金を相続させるという遺言内容でした。長女は婚姻時に500万円の贈与を受けていましたので、長男も長女も遺言内容に納得していました。また、長男が遺言執行者として指定されていました。

そして、東京太郎さんが亡くなり、自宅不動産2,000万円、A銀行の預金1,000万円が遺産となりました。

遺言どおりとすると、長男が自宅不動産2,000万円、長女がA銀行の預金1,000万円を相続することになります。

遺言もあるし、長男も長女も2人とも納得しているということで49日が済んでから手続きをすれば良いと思っていたのは、実は長女だけでした。

長男は遺言作成時には遺言内容を納得していたのですが、その後、長男が行なっている事業の資金繰りが思わしくなく、少しでも現金が欲しい状況になっていました。

長男は自宅不動産の移転登記を済ませるのと同時に、A銀行に対して150万円の払戻し手続きを行なっていました。

つまり、長女が相続することになっていたA銀行の預金に対して、改正相続法によって付与された「単独で預貯金債権の一部の払戻しができる権利」を行使してしまったわけです。

東京太郎さんの遺産である自宅不動産とA銀行の預金1,000万円のうち150万円は長男のものになってしまいました。

長女はA銀行の預金1,000万円を相続する予定でしたが、預金が850万円に減ってしまいました。減額された150万円を長男から簡単に取り戻すことができれば良いのですが、できなければ面倒な手続きが必要になってきてしまいます。

このようなケース、残念ながら、今後の相続においては発生しないとは言い切れないリスクではないでしょうか。

預貯金債権の払戻しをするための正規な手続きとして、戸籍謄本等で被相続人の死亡の事実や相続人の範囲を証明し、払戻しを請求する法定相続分が分かる資料が必要になります。

このような資料を確実に揃えるためには一般の方ではそれなりの難易度となり時間もかかります。

つまり、法律を逆手にとって悪さをしようとしてもその準備に一定の期間がかかるので、その期間内に被害を受けそうな相続人は手を打っておく必要があります。

事例の場合でも、遺言者は相続人に遺言内容を明かし、相続人の了承を得た上で遺言を完成させていますので、子供2人で揉めることのない相続を迎える予定でした。

しかし、相続人の個別の事情の変化により(遺言作成から相続開始までの期間が長いほど事情の変化の可能性が高くなります)、そうはいかなくなることがあります。

事例の場合、長男は遺言をもとに不動産の移転登記を行ない、A銀行に対しては遺産の分割前の共同相続人の立場で手続きを行なったことになります。

このようなことを防ぐためには、遺言作成時の工夫や相続開始時の預貯金を相続する相続人の工夫などが必要になってきます。

このようなリスクを想定したくないという気持ちはありますが、方法論として不可能ではないこと、相続人等の状況によっては可能性はゼロではないことなどから、相続人となる者の個別の状況によっては考慮しておかなければならないリスクともいえます。

相続法が改正されたことで複雑になっていることがありますので、専門家にご相談下さい。

このページのコンテンツを書いた相続士

中島 浩希
中島 浩希
行政書士、宅地建物取引士、相続士上級、CFP
東京都小平市出身。法政大学経済学部卒。リース業界・損害保険業界を経て、2007年相続に特化した事務所を開設し、現在も一貫して「円満相続と安心終活」をモットーに相続・終活の総合支援を行っている。相続・終活における問題の所在と解決の方向性を示す的確なマネジメントと親身な対応が好評を得ている。相続専門家講座の専任講師として相続専門家の育成にも助力している。日本相続士協会専務理事。
中島行政書士相続法務事務所・ナカジマ相続士事務所

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